こんにちは!
IKJ一生懸命塾、 第10期学生団体YMTで女夢綴り会の会長をさせて頂いておりま す、
自由学園大学の松原と申します。
皆さんは、メーテル・リンク著の『青い鳥』 という物語を知っていますか?
主人公のチルチルとミチルの兄弟が幸せの青い鳥を追い求めて冒険 に出かける物語です。
日本では、最後にチルチル、 ミチル兄弟が青い鳥を手にして幸せに暮らしました… という訳され方の書籍が多く出版されています。
しかし、原文ではチルチル、 ミチル兄弟が手に入れた青い鳥は彼らの元から逃げ飛立ってしまう 、というエンディングで物語は終わっています。
つまり、「幸せ」 の象徴である青い鳥は彼らのもとから消えてなくなってしまったの です。
この物語に関しては、様々な捉え方、考え方があるかと思います。
私は、この物語を原文で初めて読んだとき衝撃を受けました。
苦労してやっと見つけた幸せの青い鳥を手にした途端にいなくなっ てしまうなんて、
児童文学にしてはあまりにも悲しい結末ではないかと感じたのです 。
そこで考えました。
「幸せ」って一体なんだろうか?どういう事を指すのか?
これまでの自分の人生を振り返ってみると
人間関係が円滑にいっているとき、悩む事が何も無いとき、 お金があるとき、恋人と過ごしているとき…。
そういったことに幸せを感じていました。
きっと、 私と同じような事に対して幸せを感じている人も多いかと思います 。
こういったことも、決して悪くはないとは思います。
しかし、本当に何も悩む事が無い時が幸せなのでしょうか? お金があれば幸せなのでしょうか?
私はIKJ一生懸命塾に通い始めてから、
仲間と本音でぶつかり合う事も増えましたし、 その分悩む事も増えました。
しかし、 通い始める前よりもぶつかり合うことが多い塾での生活の方が
「幸せ」であると強く感じるのです。
それは、ぶつかればぶつかるほど心から信頼できる同志、 仲間となっていると感じるからです。
泥臭く一生懸命に皆でなれるからです。
苦手なことから逃げ出さず、
耐え抜くことで自分の心が少しずつ強くなっていると感じられるか らです。
そして氣がつきました。
本当の幸せは、何かを手にした時ではなく
手にするまでの過程の中にあるのではないかと。
その過程で一生懸命になっている時が、 辛く苦しくとも耐え抜いている時が、
花が咲くような自分づくりをしている時が、
一番幸せな時なのではないのかと。
IKJ一生懸命塾には、 そんな幸せを感じる事が出来る最高の環境だと私は思っています。
皆さんは何に幸せを見出しますか?
どこで幸せを見出したいですか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。