こんにちは!学生団体YMT部隊長の天満です。
『最高に価値のある人生とはどんな人生か。』
みなさんも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
この答えは千差万別であり、“自分の欲を満たすこと”の人もいれば、“人に感謝をされること”、“なにか後世に残るものを生み出すこと”、、、などなど多くの考え方があると思います。
ちなみに、3年前までの私の「価値ある人生の定義」とは“自我欲を最大限に満たすこと”でした。
いかに大きな欲を満たすことができるか。
多くの金を稼ぎ、高い食事をし、高価な服を身に纏い、高い車に乗り、高い家を買う。
地位と名誉を手に入れ、いつでもやりたい時にやりたいことができる経済力を身に付ける。
ありとあらゆる欲を満たし尽くす、、、。
これこそが唯一の人生の楽しみ方であり、地位や名誉などのステータスこそが人間の価値であると信じて疑っていませんでした。
別にそれ自体が“悪”な行為だとは思いませんが、本当にそれが人間としての本質的な価値なのでしょうか?
こんな言葉があります。
「人間の本質とは、肉体や脳のことを言うのではない。人間の本質とは、魂であり、肉体やその他の機能は付属品に過ぎない。」
私は2年半前にIKJ一生懸命塾と出会い、多くの人と語り、少なからず本を読み、目の前にあるものに対して一生懸命に取り組もうとしてきました。
その結果生まれた考え方とは、「目に見えるものだけが人間の価値ではない」ということ。
目に見える、お金や、肉体などが本質的価値だとすれば、人間は生まれた瞬間に親の財力と、偶然持って生まれた身体とで決定してしまうからです。
人とは、困難に直面した時にその本質が首を出します。
辛いこと、難しいこと、面倒くさいことに直面した時に、
逃げるのか、負けるのか、諦めるのか、嘘をつくのか、保身に走るのか。
はたまた、
立ち向かうのか、戦うのか、自分を追い込むのか、踏ん張れるのか。
これこそが人間の本質的価値であると思うのです。
いかに心が鍛えられているのかだと感じるのです。
金など、所詮人間が生み出したもの。それに左右される人生など滑稽ですし、稼ぐのにも限界があります。
しかし、心を鍛えたり、人や組織を思いやることに限界はない。
私はIKJ一生懸命塾で、人生の第一優先が、“お金”→“ココロ”にシフトしました。
人生って何なんだろう。
人は何のために生きているんだろう。
人としての価値って何なんだろう。
自分は何のためにこの命を使うのだろう。
そんなことを考え、想いを共有しあえる場がある。
人間の本質的価値。
皆さんはどう思いますか?
学生団体YMT部隊長 早稲田大学4年 天満太郎